■熊野町の沿革
熊野町は政令指定都市・広島市、工業都市・呉市、学園都市・東広島市のほぼ中心に位置する標高約220mの高原盆地です。1918年(大正7年)に町制を施行し,1931年(昭和6年)の「昭和の大合併」で本庄村(現呉市)の川角、平谷地区を編入し、現在に至っています。
ご存知のとおり、筆の生産量で日本一を誇る「筆の都」として有名で、書道で使う毛筆はもちろん、いまでは美容界や日本の俳優をはじめハリウッドのメイクでも使われるほどの化粧筆は世界のトップブランドとして君臨しています。
また町民活動も盛んな町で、全国でも先駆けとなった地域総合型スポーツクラブや駅伝などのスポーツの分野、吹奏楽・コーラス・書画などの文化の分野では県内外で活躍しています。
広島県は、平成15年1月には13市67町6村で構成されていましたが、平成の大合併により平成19年末では、14市9町となっています。90年という歴史をもつ市町は数少なく、平成20年で市制、町制が施行90年以上となる県内の市、町は次のとおりです。町制では熊野町が最も長い歴史をもつこととなります。

    ●広島市(明治22年4月1日施行)
    ●尾道市(明治31年4月1日施行)
    ●呉市(明治35年10月1日施行)
    ●三原市(大正5年7月1日施行)
    ●熊野町(大正7年10月1日施行)

 
■熊野町の統計

平成19年12月31日現在
人口:25,831人
男:12,549人/女:13,282人
世帯数:10,239世帯
現在の人口は2万5千人を超え、いまなお増加傾向にあります。世帯数はほぼ1万世帯となっています。人口の推移をみると,戦前は7千人台で推移していましたが、戦後は1947年(昭和22年)〜1965年(昭和40年)は9千人台にほぼ定着していたが,1970年(昭和45年)〜1975年(昭和50年)には県営熊野団地の造成などによるベッドタウン化が進み、2万人台に到達し発展してきました。
また県内でも成年層(10代後半〜40代)の人口が多い町です。平成17年5月末日現在で世帯数は1万世帯を突破しました。
 
■熊野町の名所
筆の里工房 HP 広島県安芸郡熊野町3115-1  TEL:082-855-3010
熊野町の筆文化の拠点として1994年にオープンしました。常設展をはじめさまざまな企画展が行われています。
また数多くの有名書家や画家をはじめ片岡鶴太郎氏(タレント)や榎木孝明氏(俳優)、八代亜紀氏(歌手)、緒形拳氏(俳優)などの個展も開催しています。

1998年7月22月 秋篠宮同妃両殿下御成り
2004年3月13日 小泉純一郎首相(当時)視察

◇開館時間 9:30〜17:00
◇入館料 大人300円 小・中・高生150円
◇休館日 
月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日〜1月2日

熊野町郷土館 問合せ先:熊野町教育委員会生涯学習課  TEL:082-820-5621
大正時代初期の造り酒屋を移築したものです。160年の歴史を持つ熊野筆の歴史や筆問屋の店先を再現するなど、民族資料を数多く展示している施設です。
開館時間 土曜・日曜日の9:00〜16:30
入館料 大人100円、小人50円

榊山神社
承平3年(933年)、大分の宇佐八幡宮から勧請された安芸国の本格的な近世寺社建築の初期例として貴重な古社です。鏡内には99段の石段や大杉の古木が立ち、歴史を漂わせています。毎年9月23日には「筆まつり」が盛大に開催され約5万にもの人手で賑わいます。

筆塚
昭和40年9月に榊山神社境内に建立されました 。筆の根幹である素材となる動物への感謝の意と慰霊を目的としています。「筆塚」の文字は時の池田隼人内閣総理大臣です。
筆供養

使い終わった筆を供養
筆供養は役目を終えた筆に対する感謝すると共に、筆作りのために毛を提供してくれた動物達の供養と書道の上達を願って浄火の中に筆を投じます。熊野で生まれた筆たちはその役割を果たした後は再び熊野へ帰り、当地で永代供養されるのです。

戦役記念碑
明治39年8月に建立された日清戦争・日露戦争の戦役記念碑の昭和30年10月に再建したもので榊山神社(熊野本宮社)の境内にあります。砲弾を上に向けた形となっています。

ゆるぎ岩
慶応元年(1865)、病床の夢に現れた観音菩薩をこの岩に安置したところ、病気が全快したことから、人々の信仰を集めたと云われています。その後、観音堂(ゆるぎ観音)が建てられ、今も多くの参拝者が訪れています。
 
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